どんぐりの世界に答えを出すブログ

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世界の解き方(解法論)の本質と「全ては必然に帰する」

世界の解き方(解法論)の本質

 さて、いよいよ解法論について説明しましょう。

 ただし、ここで説明するのは解法論の本質です。解法論の本質とは、この概念さえあれば、実は解法論の全てを説明したことになる、という究極の概念です。
 あとで書く解法論についての記事は解法論の本質をある面から切り出すことにより分かりやすくするものになります。

 こう聞くと解法論の本質とはたくさんの説明が必要になる難しい概念のように聞こえますが、その実はマジでシンプル(Seriously Simple - SS)です。 

www.inuboku.tv ↑違うけどSS

 結論から言ってしまいましょう。
 解法論の本質とは、「世界をありのままに理解したときが、一番正しく理解できている」ということです。

 人間は、「理解する」「分かる」という言葉も表すように、「分解する」とか「意味づけ」とか、ありのままの世界に何らかの改変を施さないと理解できません。こういうと、「言語が世界を分節する」とか「マインドセット」とかそういうことを想像する人がいるかもしれませんが、僕が言っているのはそんな生易しいレベルではありません。

sekakota.hatenablog.com

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 例えば、リンゴが木から落ちたとします。この時、リンゴに働く重力をF、リンゴの質量をm、リンゴの加速度をaとして、F=ma(運動方程式)という記述ができます。ですが、このリンゴが木から落ちたという現象(ありのままの世界)をF=maに落とし込むことさえ、何らかの改変(今回の場合分解)だ、といっているのです。

 そして僕は、何らかの改変を加えて理解したほうが、ありのままで理解するよりも正しいとは限らないといっているのです。

via GIFMAGAZINE ↑現象をありのままで理解する必要がある。

 まあもちろん、リンゴの場合はF=maに落とし込んで理解しても正しいです。ただ重要なのは、「もともと世界(物理)がF=maに従って動く必要などなかった」ことを理解していることです。
 世界(物理)が必要があってF=maに従っているのではなくて、たまたま世界(物理)はF=maを満たしたから、僕たちはF=maと理解できたに過ぎないはずなのです。

(後で捕捉しますが「必要があって」というのはもちろん物理的な話ではありません。極端な言い方をすれば、「決して世界(物理)に意思があって、規則を満たそうとして世界(物理)が生成されたのではない。たまたま生成された世界(物理)は規則を満たしただけだ」ということです。)

 

解法論の切り出し方①:「全ては必然に帰する」

 逆説的な見出しはおいておいて、解法論の本質について具体的に説明しましょう。

 例えば、人はがむしゃらに努力すれば報われると信じます。
 筋トレなんかはそうかもしれません。やった時間が長ければ長いほど、多くの筋肉がつくのでしょう。
(もしかしたらそれだけじゃ足りないかもしれませんがここではそういうことにしておきます。)

via GIFMAGAZINE ↑やればやるほど筋肉は増える。

 でも、勉強もそうだとは限りません。
 そして実際、勉強とは休憩もせずにただ勉強時間が長い人が頭が良くなるのではなく、例え遊びの時間が勉強の時間よりも長かったとしても、その遊びが脳に良いホルモンを分泌して結果的に脳に良い刺激になっていれば、そうした人のほうが頭が良くなる可能性が高いのです。

 これはどう解釈したらよいでしょう?
 解釈も何も、ただの事実でしかありませんが、「がむしゃらに努力すれば報われる」ことが間違っていることが示されました。代わりに分かるのは「全ては必然に帰する」ということです。

 「全ては必然に帰する」というのは、例えば勉強なら、「例え遊んでいようと勉強と関係ないことをしていようと、”それ”が結果的に良いことならかえって頭が良くなるし、悪いことなら頭は悪くなる。なんにせよ、”それ”がどんなに努力せずにできるものでも、さらに言えば道徳上悪いことだったとしても、”それ”を評価してその人に罰を与える神様や運命はいない」ということです。

(あ、ちなみに「”それ”を評価してその人に罰を与える神様や運命」ではない神様や運命の存在は否定できません。それに神様はいなくても人間はいますから道徳的に悪いことをするのはダメですよ。)

 筋トレの場合はたまたま「がむしゃらに努力すれば報われる」という法則が成り立っただけで、もしサボって筋肉がつかなかったとしても、それは神様が罰を与えたのではなく、ただ単に「必然に帰した」だけの話なのです。サボらず筋トレをして筋肉がついても、神様がご褒美を与えたんじゃなくて、ただ「必然に帰した」だけの話なんです。

 

解法論の本質は切り出せる

 さて、ここで解法論の本質の話に戻りましょう。実は、解法論の本質はそのままでは使いにくいことがほとんどなので、様々な面から切り出すことで、分かりやすく使いやすくします。というとなんだかすごく聞こえますが、ただ本質を押さえて解法論を見方を変えて見ているだけです。

 そして、先ほどの「全ては必然に帰する」は解法論の本質を押さえて世界を見た時の、ほとんどそのままの感想です。実は僕は解法論の本質を説明するのに具体例を使おうとしたのですが、その具体例では解法論の本質を微妙に切り出した後になっているなと思い、さっきのように「解法論の切り出し方①:『全ては必然に帰する』」という見出しを付けました。
 何が解法論の本質とは違うかというと、それは元も子もないのですが、物理がF=maである必要がなかったように、この世界は「全ては必然に帰する」必要さえないということです。

 解法論は切り出し方によって様々な解法になります。ちょっとしょっぱなから刺激強めすぎた気がしますが、これだけが、解法論ほとんどそのまんまでイレギュラーだっただけです。(笑)これ以外のやつは、もっと分かりやすくて使い勝手のいいやつなんであんまりがっかりしないでください。(笑)これからの記事では、他の切り出し方を紹介していこうと思います。

 

「必要がない」について

 「必要がない」の意味がいまいち伝わってないと思うので、本当に極端な可能性をいくつか説明しておきます(僕はこれらを根拠にしているわけではありませんが分かりやすくするためにわざと極端な話をします)。

 本当にこの世界をありのままに解釈するなら、「僕らがいる世界が夢ではない」ことの証明がどうやってもできないことまで解釈の一部に入るから、突然物理法則が成り立たなくなって魔法の世界になったとしても不思議はないことになります。あるいは、現実味を持たせるなら、不確定性原理のように「全ては必然に帰する」必要がないものが実際に存在しています。

 本当にこの世界をありのままに解釈したら、そうなります。ですが、そんなこと言ったってどうしようもないわけです。現にF=maは満たされているし、「量子レベルの全ては必然に帰しない」としても僕らがいるのは量子レベルじゃないわけです。であればここに、「『F=maは未来永劫満たされる』、量子レベルは気にせず『全ては必然に帰する』と根拠なしに信じる」というバイアスを掛けて、解法論の本質をもう一度見ることができ、つまりそれは「全ては必然に帰する」となるわけです。

 ちょっと哲学的でしたかね。(笑)でも僕は、こう見えて哲学がなぜ存在しているか、疑問に思っているんですよ。それが知りたくて大学で哲学の授業を受けてるぐらいですからね。なぜって、哲学であれこれ考えるより、世界をありのままに解釈したほうが、早いし正しいと思うからです。まあその話はまた今度にしましょう。(笑)
 あ、でも哲学と言えば僕はウィトゲンシュタインの哲学しか知らないんですが、彼の哲学は存在する意味が僕にも分かります。解法論の「世界をありのままに理解する」って、ウィトゲンシュタイン言語ゲームに似てると思いませんか。

sekakota.hatenablog.com

 

まとめ

  • 解法論の本質とは、「世界をありのままに理解したときが、一番正しく理解できている」という考えそのもの。
  • 解法論の本質の切り出し方の一つをすると、「全ては必然に帰する」ことが分かる。

 

番外編:アドバイス

 「がむしゃらに努力すれば報われる」が否定されて人によってはどうしたらいいか分からなくなっている人がいないかと思いまして、アドバイスさせていただきます。

 僕は「がむしゃらに努力すれば報われる」は否定しましたが、「正しい努力をすれば報われる」は否定しませんし、むしろ肯定します。問題は何も考えずに努力するのではなく、方法を考えて努力をすべきだということです。

 じゃあその方法はどうしたらいいんだと聞かれると、「それは分からない」が答えになります。例えば勉強なら、効率の良い勉強方法を誰かが研究して、その答えを待つほかありませんよね。しかし、なぜ研究しなければならないのかというと、それは答えが誰も分からないからです。ですから、あなたがどんな勉強方法をしたとしても、誰も答えが分からない間はそれは正解になります。

 さて、僕が言いたいのは、「分からない」から、実験をしましょうということです。といっても、わざわざ遠回りをする必要はありませんから、ネットで評判のある勉強法をいくつかだけ実験する、でもいいと思います。
 でも、評判のある勉強法は多くの人に当てはまるというだけで自分に当てはまるという保証はないので、自分で考えた勉強法でもいいと思います。どれを選んでも、誰もそれが不正解だとは言えません。そして、「分からない」から実験に踏み切ったという意味で、その行為が(唯一の)正解です。

 実験をしたら、必ず結果を見(フィードバックし)ましょう。結果を見て、前やった勉強法よりも成績が上がっていたらその手法はとりあえず今までの中で最良、下がっていたら前やった勉強法が最良、と分かり、それを繰り返した分だけより良い勉強方法が分かってくると思います。
 ちなみに実験をやめるタイミングの決め方は、例えば1回の実験に1週間かけている場合は、(試した勉強方法の効果を0と考えて)1週間勉強しないことになるかもしれないリスクが、今の勉強の満足度に勝っているか、です。

 あんまりいないと思いますが、もし勉強しかやっていないという人は間違いなくもっといい勉強法があります。その人はノーリスク・リターン有なのでぜひ実験してみてください。

 といっても、そんなに簡単にはできないよという人が多いんじゃないかと思うので、そういう人は問題解決手法というのを学ぶのをお勧めします。僕もこのブログで解法論に基づく問題解決手法をいずれ書こうかなと思っていますが、それが待てないという人はネットで検索して問題解決手法をやってみるといいと思います。

 ちなみに、例として勉強を扱いましたが、僕自身は理屈っぽいわりに勉強が好きな人ではないことに触れておきます。(笑)

実際の使用例(一部)

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他の解法

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