どんぐりの世界に答えを出すブログ

世の中の全ての問題に答えを出すブログ。学校では答えを教えてくれない日常や実際、人生上の問題に「答え」を出していきます。あなたが疑問に思う問題も募集中。

道徳とは何か?

道徳とは何か?

「白人専用車両は道徳的によくないけど、女性専用車両は別にいい」
「人間は殺しちゃいけないけど蚊は殺してもいい」

 これらを道徳的、不道徳的と決めているものは、いったい何でしょう?道徳とは、いったい何なのでしょう?

さっそくだけど答え

 これはどんぐりの仮説カテゴリーの記事なので、これは僕(どんぐり)が解法論(の本質)を使って解いた僕の答えになります。

sekakota.hatenablog.com

 答えは…

 人間(全体)が決める

 です。

 「はあ?いや、そう言う答えじゃなくて」と思うしょうがまあ聞いてください。「人間は殺しちゃいけないけど蚊は殺していい」というのは、「蚊側」からすれば全然道徳的じゃありません。ちなみに、もし蚊に道徳があれば、「人間の血を吸う」ことは全然不道徳的なことではないでしょう。あれ、「蚊側」と「人間側」の道徳に違いがありますね。

 「白人専用車両は道徳的によくないけど、女性専用車両は別にいい」というのは、白人専用車両を作ると黒人が嫌だからです。じゃあ女性専用車両を作っても男性は嫌じゃないの?それは人によると思います。今は嫌じゃないという男性が多いだけで、もし女性専用車両を嫌だと主張する男性が増えたら、女性専用車両もなくなると思いませんか?

 つまり、道徳というのは不変ではないのです。それが道徳的でないと主張する人が増えればそれは不道徳になり、道徳的だと主張する人が増えれば道徳的になります。もっと詳しく言うと、個人がそれを道徳的と思うかどうかは、過去の経験や価値観の蓄積から、それを判断し、で、一般的には、全員の道徳的か否かという判断の総意がそれを道徳的かどうかを決めている、といったところだと思います。個人が蚊を殺すときにためらわないのは、蚊は殺すものだと習って/見て/自分で経験してきたからであり、一般的にそういう人が多いから蚊を殺すことは不道徳的ではないということです。

 確かに、「蚊は意識がないから殺してもいいんだ」とかいう主張は可能でしょう。でも、それは後付けの主張なのです。でも、「人間だって植物状態になったら殺していい(臓器移植の話)じゃないか」という事例があったりすることで、道徳には「意識がなければ殺していい」という固定のルールがあるように錯覚してしまう。

 じゃあ仮に「意識がなければ殺していい」というルールがあると仮定しましょう。では聞きますが、なぜ「意識がなければ殺していい」のでしょう?相手が苦しみを覚えることはないから?でも蚊の場合は、代わりに子孫を残せなくなるというデメリットがあります(それ以上生きられないこと自体デメリットかもしれないが)。つまり、「意識がなければ殺していい」という判断は、事前に「蚊にとっては子孫を残せなくなるというデメリットよりも、苦しみを覚えないというメリットの方が勝っているんだ」という人間の(勝手な)判断があったからということになります。しかし、本当に人間はそんな比較をしたのでしょうか。やはり、「意識がなければ殺していい」というのは、後付けの理由でしょう。

 結局、道徳というのは人間(全体)が道徳的だと思ったから道徳になっているだけなのです。ちなみに、「人間(全体)」の範囲は場合によって変わると思いますが、日本では主に日本人でしょう。

まとめ

  • 道徳は、人間(全体)が道徳的と思えば道徳になり、不道徳的だと思えば不道徳的になる。
  • 「人間(全体)」の範囲は場合によって変わる。

 

今回使った解法

sekakota.hatenablog.com